明け渡し
愛はハートの泉からこんこんと湧き出ています。なぜなら、そのハートには、神のゲートがあるからです。心理学はそのゲートのふさがりを取る作業です。
ハートを通して私たちは、神と自我とを行き来します。だから、誰かに愛されようなんて思わなくていいのです。誰かから愛を得ようとしなくてもいいのです。私たちが「愛」そのものなのですから。そして、この世界も愛でできているのですから。
私たちの取る行為のほとんどは、愛を得ようとしての行為です。でも、思考はここでごまかします。愛ではないのに、承認を、共感を、理解を、ねぎらいを愛だと偽装し思い込ませる。
だから、私たちは、誰かに認めてもらおうと、わかってもらおうと、ねぎらってもらおうと必死なのです。それが愛を得る方法だと思い込んでいるから。
思考は、私たちを自我に留め、領域を作り、制限を作り、そして私たちはいつも忙しく何かを"すること"に追われます。さらに、思考はいつも"ない自分"にフォーカスし、「得ること」に囚われ、忙しく毎日を送ります。
その思考を一旦手放すのです。
執着を手離すのです。
そして、自分を明け渡す。
純粋にただ純粋に、神に明け渡すのです。
神社や宗教や何かの神ではありませんよ。唯一存在する、大いなる存在であり、「私」に、です。
明け渡したなら、悟ったなら、何かが得られるのではないか?という期待を手放して、ただ純粋に神に返すのです。
思考はすぐ期待してしまいます。すぐ欲しがります。だから、思考は止まっていないのです。明け渡していないのです。
人類に与えられた最大のギフトが、明け渡しなのだと私は思うのです。
「全てをお任せします。」とゆだねる。
そうすれば、自我という世界が見事に崩壊するのです。そして、現れます。自我というベール越しには、見たこともない景色と、体験したことのない「私」が新しい世界にはいるのです。
ああ、どこまでも「私」。
ああ、全てが「私」。
・・・・
だから、苦労があるのです。
だから、苦しみがあるのです。
だから、
耐えがたいほどの苦悩があるのです。
だから、
涙が枯れる程の悲しみがあるのです。
だから、
悶えるほどの痛みがあるのです。
苦悩や悲しみは、自我を明け渡しやすくするための、いわば、与えられた恩寵だと思うのです。
この幻想の世界から、唯一の世界に目覚めるために。創造者として、この人生を生きるために。
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