自我という幻想

天使と出会う。守護ガイドと出会う。いわゆる、これがスピリチュアルな目覚めであり、見えない霊的な存在に導かれて人生を送る。そして、宇宙を世界を取り巻く全てと自分は融合していく。自分も他人も全部繋がっている。ああ、ワンネスだわ。・・・・と。


以前スピリチュアルカウンセラーをしていた時、いわゆる定番のスピリチュアルストーリーの真っ只中におりました。その時は、それが真実であり、自我が体験したストーリーです。なんの間違いもありません。


でも、真我と出会うと言うことは、自我を放棄する事なので、そこにストーリーはないのです。全くの別物なのです。

ワンネスは、スピリチュアルという山脈では、頂上かもしれませんが、ワンネスという頂上の先に真我という、マッターホルンのような最高峰がある訳ではありません。

むしろ、そのスピリチュアル山を一旦降りて、別の山を新たに登ることになるのです。私の場合は、まあ、新たな山というより、洞窟というか地底湖とかを通ってきたような気がします。。。。。。笑


ただ「見えないもの」という分類では、同じカテゴリーには入るかもしれません。そう意味では、入り口としてはいいかもしれません。


スピリチュアルストーリーは、自我の体験です。演者として真我の設定したストーリーを演じ、体感しているのです。真我が見ていたい夢を体験するために自我が創られているのですから。真我はストーリーがないのです。演者じゃないから。総合監督。そして自分の一部を演者として登場させ、自作自演して楽しんでいる。


唯一あるのは意識のみ。これが真実なのです。

世界には何もありません。世界そのものがない。ただただ真我である意識があるだけ。

クリシュナが、ブッダが、キリストが説いたのはこのことなのです。

この世界が幻想だなんて、信じる人は少ないでしょう。

飛んできたボールに当たれば痛いし、車にひかれれば、怪我をしたり、骨折したり、もしかすると死ぬかもしれない。

リアルな体感を経験しているから、まさか夢の世界だなんて、信じられない。あり得ない!と思うでしょう。

しかし、本当は、この世界には「私」しかいません。たくさんの人がいるように見えて、誰もいないんです。

本当はこの世界には、何もないのです。目の前にマグカップがあるように見えているし、Windowsのサポートの関係で買い替えた新しいこのパソコンも、本当は存在しないのです。


自分などいないのです。自分など幻想です。


だから、手離すのです。
自分がやったという、自我の手柄を。こんなに頑張ったという、自我の実績を。そんなものにしがみついているから、それを取り巻く大きなものが見えなくなる。


大丈夫!
自我の手柄を手放せば手放すほど、大きなギフトが与えられます。


そもそもが幻想なのですから。





Awakening space Nirvana

アウェイキングスペース ニルヴァーナ   癒しを超えた、完全無欠の真我のきらめき。体験者であり、創造主である「私」を生きる!